日時:1995年12月9日(土)14:00 - 16:00
場所:盛岡市上田公民館視聴覚室
テーマ:食品の科学シリーズ(1)
話題:「味噌の香りと微生物」
菅原 悦子 (岩手大学教育学部)
日本では大豆を様々に加工し、不快臭が感じられないだけではなく、
より嗜好性の高い香りを付与することによっておいしく食べる工夫が
なされてきた。本研究室では大豆の加熱、発酵等の加工における香気
成分の変化を化学的分析によって明らかにし、伝統的な大豆食品(味
噌と納豆)において、不快臭が感じられず、より優れた嗜好性の高い
香気が形成された要因について、特に微生物の働きに着目して探求し
ている。今回は味噌の香気成分とその形成に関わる微生物、特に酵母
の働きについて述べる。
1.味噌の香気成分検索方法の検討
味噌は大豆、米、麦などの穀類から、麹かびのもつ種々の酵素を活
用させ、さらに酵母、乳酸菌などの微生物も協同させることによって
製造される。味噌は味とともに香りが重要な食品であるが、複雑な不
均質系であるため、香気に関しては分析技術上の問題点も含めて不明
な点が多かった。そこで、初めに最も一般的な赤色辛口系米味噌を試
料とし、味噌の香気解明に適した分離濃縮方法を比較検討した。その
結果、味噌の香気研究には香気の再現性がよく、加熱による香気の変
化がなく、しかも水あるいは水溶液中の共存成分の影響が少なく、H
EMF(4-hydroxy-2(or5)-ethyl-5(or2)-methyl-3(2H)-furanone)
を初めとする味噌の重要な香気成分を効率よく回収できるカラム濃縮
法が最も優れていると判断された。カラム濃縮法を用いることによっ
て、味噌の香気成分として新しく同定されたHEMFは甘いカラメル
様の強烈な香りを持ち、閾値は0.04ppbよりも低く、本醸造醤油の特
徴香を示す物質とされ、今まで醤油以外の食品では検出されていなか
った。
2.各種味噌の香気組成の比較
カラム濃縮法を用いて、各種味噌の香気特性の解明を試みた。HE
MFの濃度は、赤色辛口系米味噌と麦味噌で高く、HEMFは発酵型
熟成味噌の特徴的な香気成分であった。さらに醤油中に1〜3ppm含ま
れると品質的に明確な優位性がある4-ethyl-2-methoxyphenolは、米
味噌では検出されず、麦味噌と豆味噌で同定され、これらの味噌を特
徴づける重要な成分と判断された。各種味噌の原料と製造工程から、
これらの香気の特徴を最もよく説明できる成分はHEMFと4-ethyl-
2-methoxyphenolであり、この2成分はともに酵母の働きによって形
成されることが示唆された。
3.味噌の香気成分と官能評価の統計的解析
味噌は同じ種類であっても、様々な品質のものが製造される。そこ
で、味噌製造に関わる専門家によって、香りについて官能評価された、
異なる品質の多数の赤色辛口系米味噌を試料とし、各香気成分の濃度
と官能評価点の統計的な解析から、味噌の品質と香気成分の関係につ
いて考察した。統計的な解析結果からもHEMFは味噌の香気の品質
に大きな影響を与えることが判明した。そこで、実際にHEMF濃度
の低い米味噌へ一定量のHEMFを添加し、無添加のものと官能検査
で比較して、HEMFの添加は味噌様の香気を強める効果があること
を確認した。
4.米味噌(赤色辛口系)熟成中の香気形成と酵母
味噌の原料となる米麹と蒸煮大豆及び仕込直後から製品となる各段
階の味噌を試料として、HEMFの濃度を測定し、HEMFは熟成中
に形成し、一定量まで増加することを明らかにした。さらに、味噌を
仕込む際に酵母Z.rouxiiを添加したものとしないものを調製し、仕込
直後から製品になるまでのHEMF濃度の変化と、酵母の増殖状態を
測定し、HEMF形成への酵母の関与について考察した。酵母Z.rouxii
によるHEMF形成には酵母の増殖や酵母生育の環境が影響し、味噌
のような高濃度の還元糖と食塩がある場合にはpHが5.6以下になった時
に始まると推測された。
以上のような結果から、味噌をはじめとする大豆発酵食品ではより
好ましい香気の形成に微生物が重要な役割をはたしていることを確認
した。
味噌や醤油においてのみ酵母が生成するHEMFはそれぞれの香気
を特徴づける重要な成分であると同時に、強い抗酸化性を持ち、ベン
ズピレン誘導体によるマウスの胃の腫瘍の発生を抑制する効果のある
ことが報告された。HEMFは香気成分として以外にも重要な機能が
あるとして注目されてきている。このように、大豆加工への微生物の
効果的な利用は香気を改良するだけではなく、機能性の向上にもつな
がると考えられる。本研究をとおして、多種類の大豆発酵食品を生み
出し、これを伝承してきた日本の食文化の優れた点を再認識した。大
豆発酵食品がこれからの食生活においても、さらに積極的に取り入れ
られていくことを願っている。