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6、アナクシメネスはアエールをアルケーと考え、アエールの濃淡が現実世界の生成変化を生むと考えた。
アナクシメネスBC?〜BC525は、ミレトスの人でアナクシマンドロスの弟子でした。
アナクシメネスは、アナクシマンドロスを受け継いでアルケーを無限で生成も消滅もない無限なものと考えました。ただし、彼はアルケーを無限定なものとせず、アエールであると説明しました。
アエールとは空気のことです。
一見すると、アナクシメネスのアエールはアナクシマンドロスのト・アペイロンよりも観念的に後退しているのではないかと思われます。アリストテレスの説明にあるように、アルケーをある特定の何かだと言ってしまうと、現実世界にある対立する要素と矛盾してしまうからです。例えば“火”に対して“水”とか、“熱”に対して“冷”がそうです。
この疑問に対して、アナクシメネスは濃淡と運動と言う概念を持ちだしてきて切り抜けようとします。アエールはアルケーですからあらゆる物質に満ちています。しかし、その濃淡や運動の程度によって差異が生じていると説明するのです。
アエール自体はアルケーなので生成も不滅もない不変な存在です。アエールは世界に満ちており量的には無限ですが、質的な濃淡によって各種の物質を生じるとアナクシメネスは考えます。
プルタルコスは、「アナクシメネスによれば、冷たいもの熱いものを実体として受け入れるのではなく、変化によって起こる質料の一般的状態と解すべきである」と言っています。つまり熱いもの冷たいものなどの現実世界の違いは、アルケーであるアエールの変化によって生じていると言うのです。
シンプリキオスの伝えるところによれば、アナクシメネスのアエールは薄くなると“火”になり、濃くなると次第に“風”“雲”“水”“土”“石”と姿を変え、これらの組み合わせでその他のものを生み出すと考えられました。
ヒッポリュトスは『異教論』の中で、アエールについて“冷たいもの”“熱いもの”“湿ったもの”“運動するもの”があるとされていたと伝えています。そして、変化するものは運動するものなので、アエールとその変化した要素は常に運動していると紹介しています。
しかし、この説明だけですとアルケーが特に“アエール(空気)”である必要がありません。タレスのように“水”と言っても同じように説明できるだろうし、“熱”と言っても同様でしょう。
どうやらアナクシメネスの“アエール(空気)”も、清水哲朗がタレスのところで指摘したように、現実世界の空気のことではなく、アルケーを説明するための象徴として語ったのではないでしょうか?
アナクシメネスはアルケーについて思索を深めたと言うよりは、むしろ現実世界の生成変化の説明に関心が移っているように思われます。
アエールが方便だったと言い切ってしまえば「なーんだ」となりがちですが、私は、アナクシメネスは、普遍的なものと変化するものの対立をどう解消するかと言うテーマを示してくれた点でやはり重要な人物だと思います。
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