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5、アナクシマンドロスは、アルケーについて考える道を拓いた。

 

 ディオゲネス・ラエルティオスによれば、アナクシマンドロス(BC610BC546)はミレトスの人で、天体運動や気象現象、地震などに関心をもち、自然についての本を書きました。彼の著作はアテナイ人アポゥロドロスに渡されたのでその内容こそ人々に伝えられましたが、本そのものは残念ながら失われてしまいました。

 彼はミレトスの人々のために地図を書き、はじめて天球図を書いたことで知られています。彼は天体の起源や蝕の原因について考察し、黄道の傾斜を認めた最初の天文学者でした。

 また、人類の起源について、各部族に伝わるトーテミズムを否定し、人間を他の動物から切り離して考えました。

 トーテミズムとは、自分たちの祖先が他の生き物であったとする考え方です。祖先となった生き物をトーテムと呼びます。このような考え方は世界中に普通に見られることで、モンゴル人が雄狼と雌鹿の間から生まれたと言う話が有名です。私たちの周りでも、白鳥がトーテムとして大事にされていますが、みなさんはご存じでしょうか? ある娘が外をあるいていると白鳥が飛んできて、それを見上げると白鳥が空から卵を落とし、それを口にいれた娘が子供を産んで、自分たちの祖先となったと言うのです。宮城県南部や北上川沿いの村の伝承です。調べれば他にもあるかもしれません。

 このような考えを最初に否定したのがアナクシマンドロスでした。彼は、人間は魚として生じ、鮫のように育てられ、十分成長してから大地にとりつくと説明しています。これは人間の個体発生ついて語ったものです。人間に限らず哺乳類は魚類からの進化の過程を母親の胎内で体験します。アナクシマンドロスは医学にも通じていたらしく、そのことを知っていたと思われます。それにしても胎児を魚、胎生を鮫にたとえるところは、港町ミレトスの出身らしいですね。

 シンプリキオスによれば、アナクシマンドロスは世界の根本についてアルケーと言う言葉を最初に使った人物であるとされています。

 アナクシマンドロスは、アルケーは無限定なもの(ト・アペイロン)だと言いました。アリストテレスは、アナクシマンドロスがト・アペイロンであると言った理由はアルケーを水や空気などの要素に求めれば他の要素と矛盾するからだろうと説明しました。空気は冷たく、水は湿り、火は熱いと言うふうに各要素は対立する性質を持っているからです。シンプリキオスも、アナクシマンドロスは四元素の相互変化を観察して要素を越えた或るものを原理とした方がよいと考えたのだろうと言っています。

 アナクシマンドロスが、アルケーがト・アペイロン(無限定なもの)でなければならないと考えたのは、私たちが経験する世界の生成変化を考慮にいれたからだと思われます。アルケーを水や空気のような或る要素だと決めつけてしまえば、アリストテレスの指摘したとおりの矛盾を生み出してします。これでは万物に共通する根元とは言えません。

 シンプリキオスによれば、アナクシマンドロスは、生成は要素が質的に変化するからではなく、運動によって対立するものが区別し出されるからだとしたそうです。ト・Aペイロンは根元的なものなのですから、それ自身が生まれたり壊れたりすることはありません。むしろ、ト・アペイロンが動くことで他のものを生みだし、生み出されたものを操るのです。アナクシマンドロス自身は、ト・アペイロンは無限な原質であって、ト・アペイロンから全ての天と天の内にある世界が生じてくると言っています。

 アナクシマンドロスの生成変化についての考え方は厳しくて、世界を熱さ、冷たさ、湿り、乾燥、夜、昼の分離対立と考え、対立物の一方の生は一方の死であるとしています。アナクシマンドロスにとって生成変化は存在のための厳しい生死の戦いだったのです。

 ところが、アナクシマンドロスは現実の生成変化に対して万物の根元を無限定なものだと説明してしまったため、不変なアルケーが現実世界の生成変化をどのようにおこしているのかが課題として残されてしまいました。

 アナクシマンドロス以後、ギリシャ哲学はアルケーとともに、この世界の生成変化は何故起こるのかも考えなければならなくなりました。その過程でギリシャ哲学は四元素説を生みだし、やがてデモクリトスの原子説を生みだします。原子説は、20世紀になると科学的に証明され、物質の根元についての基本的な考え方として現代人に定着しました。

 現代物理学では、古代ギリシャのミレトス学派の課題を引き継ぎ、現在は原子を構成する更に細かな粒子とそれを存在させている力(それは観念的なものである。)についての研究が行われています。

 アナクシマンドロスは現代に続く人類のこのような活動の初めだと言えるでしょう。

 蛇足かも知れませんが、アナクシマンドロスの人となりについて付け加えます。アナクシマンドロスは、非常に歌がうまく、しかも子供好きだったらしく「子供らのためにもっと上手に歌わなければ」と言ったことが伝えられています。また、アイリアスによれば、彼はミレトス市からポントス地方のアポロニア市への植民団の指導者でもあったそうです。


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