組合概要

急実力派がスクラムを組む緑の工業団地
近代的工業団地としての新たなスタート

金属関連の集団工業団地として

Photo 激動の70年代といわれ、解放経済への移行や技術革新、情報化の進展、都市の過密化と公害問題、労働不足の進行とこれに伴う賃金の上昇など、企業を取りまく環境条件が大きく様変わりを見せていた昭和46年9月。激しい変化に適応するために、鉄工関連システム化団地めざし当組合は結成されました。
ちょうど東北縦貫自動車道や東北新幹線の着工により、高速交通時代が間近なものになっていた時期でもあります。

昭和48年より組合はみずから用地の取得造成に入り、組合員の工場建設も始まりました。そして昭和57年に最後の一社の建設がおわり工場集団化が完了。現在に至っては工場敷地向け保有地も解消し、各社の土地代借入金の返済も完了して、自社独立の形態を確立しています。
この間、日本列島改造ブームによる地価の異常なまでの上昇や、オイルショックがもたらした経済不況によって、幾度かの紆余曲折も余儀なくされてきましたが、組合員各社の団結と協力でその都度乗り切り、技術力、生産力を増強しながら着実に業容を拡大してきたことが、当工業団地の大きな誇りにもなっています。
組合員数16社、各称も実態に合わせ昭和63年に以前の盛岡鉄工団地協同組合から「盛岡工業団地協同組合」に改称、近代工業団地として新たなスタートを切っています。



共同事業はハードからソフトまで

Photo 当組合が結成された当時の主要事業は事業用土地の取得、造成にあったわけですが、現在は、団地周辺の環境整備により緑に囲まれた環境の中で各社が順調に業容を拡大しています。
また、昭和53年度の活路開拓調査事業の成果も得て、金融事業や事務代行事業などが順調に行われています。

工業団地の成長とともに歩んできた組合の共同事業ですが、今後はよりソフト面が重要な位置を占めるものと考えています。そこで教育情報、福利厚生事業には、さらに力を入れていく計画で臨んでいます。野球場などを利用してのイベント、スポーツ大会や、労働安全衛生の推進と快適現場作りに力を注いでおるところでもあります。
各事業遂行のための当団地の投資額も60億円を突破しました。実力派企業の集団として各方面から高い評価を得ている当団地ですが、今後は組合員各社の団結と相互理解という財産をベースに、21世紀への長期計画の上にたって事業を推進していく考えです。





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