松嶺清巳氏  

ずうっと以前から、宮野さんと共に吾々のお世話役を買ってでられていた雫石の松嶺さんです。
現在では内外によく知られている盛中LB会という名前も、形式としては会員全員から募集したことになっていますが、
実際は氏の発案で、おおかたの賛成を得て確定したものです。



在学中、2年生のある夏の日、弟分のようについて歩いていたアイスホッケー部の細越さんが、上級生も含む全部員で練習に励んでいたそうです。
 その年のホッケー部3年生は、名選手揃いで後年東京の大学リーグで活躍した人も数人いました。

 アイスホッケー部の夏場の練習は体力作り、それも相当に厳しく身体を痛めつけるもので、本人達は必死でしょうが、
 はたから見ると、体力の極限まで行き着いた様子がふらふらしたりして見えるものでした。

で、氏が 『なんでぇ..。そのかっこうぁ..。』 から始まって相当に下品な言葉で冷やかしたらしいのです。
氏は、心やすい細越くんをからかったつもりだったのですが、先輩連中が大憤慨してしまいました。
その日の帰り道、今でいえば丸岩のあたりの路地で、ホッケー部の3年生7,8人にぐるっと囲まれてしまいました。
あとは、殴られ、殴られ、失神してしまったらしい..と、本人も 『どうなったのか解らねぇがった』そうです。

 『すてさぁ..。なんだが..。 かたっ、カタッ、かたかたかた...。って、聞こえできてさ、ふっと気がついだっけぇ、女の人がミシンふんでるのさ。
 俺はその横で畳の上で、寝せらえでらったんだょ。』
その人のいうには、「 私の弟も同じような年頃で、ピンポンやってるので。とっても他人事とは思えなかったの..。」 
と気を失った松嶺氏を家に引っ張りあげて介抱して下さったのだそうです。
  今でもおもいだすなぁ。かたっ、かたっ、という音で気が付いた時のこと..。と゛うなっているかなぁ..あの人は..。   と。


このご婦人は、熊沢さん達と全日本の代表に選ばれたこともある、花巻出身のシェークハンドの名手藤井さんの姉さんだったようです。
   有名人の姉さんだもの..。調べれば解るでしょうよ。
と言ったら、   いやいや、 いい、いい、   と、  ちょっと 慌てておられました。