志和吉右衛門 
高校在学中からお酒を嗜んでいたという噂もある、後年盛岡レンズセンターの2階で、5時まではいた(その後は呑み屋さん)
 エモちゃん(一戸さんはエモンちゃんといってた)です。


この人は私(加美山)とちょっとした親戚にあたっています。
それで、うちにも遊びに来たり家内と話したりする機会も多かったのですが、私らが夫婦で、飲むな飲むなというのに対して、
 『 おら、飲んで飲んで死ねばそれて゜いいのす。 死んだらさ、春ちゃん(私のこと)一番先に呼ぶからなはん..』
と笑うので、家内が 「なに言うって...。やめてくださいっ」 と真面目な顔で怒っていました。

 その後あまり間もなく、亡くなってしまったのですが、一番先に呼ばれるはずの私さえ元気にしていれば、LB会は誰もあの世え呼ばれないだろうと、節制していました。
 しかし残念ながら、そうもいかず、私を追い越して、エモちゃんに会いに行く人が大勢出ました。


それよりだいぶ前になりますが、谷藤淳さんが若くして亡くなった時のことです。
下田先生の弔辞を聞いていたエモちゃんが
  『いやぁ。うめぇもんだなぁ。 じゃ..。 俺の時も絶対、下田くんさ頼むじゃ.。』
     と言ったのを、聞いて笑った人が大勢いたはずです。
ですから、エモちゃんの葬儀で LB会を代表して大森卓先生 と、聞いて  ん? と顔を見合わせた人が何人か、確かにいました。
葬儀は大森先生の、荘重な弔辞でしめやかに進行し、席を改めて法事になりました。
そこえ現れた下田先生は、縞ズボンの祝儀用の式服で、
   「シワキチ、なぁしてしんだっけぇな。俺は今日、何ヶ月も前からの予定で結婚式さ行ってきた。
    ことわりもなく、急に死なれたって、わっがねぇ。」 と 挨拶され、満場の泪を誘いました。


エモ   春ちゃん、春ちゃん。 酒は うんめぇんだよぉ。
      おめはん、人生の楽しみの半分しかしらねぇんだ。

私    なにゆってるってよ。 
        ほ、ほ、蛍来い。こっちの水は 甘いぞ...。 って言うべぇ。 
        甘いのが イコール うまいのだ..。
        酒なんか、なにうんめぇつてさ。