餅は古くから伝わる日本ならではの食文化。
この歴史ある食べ物をいろんな角度からついてみたおいしい「もち情報」。



もちはいつ頃から
食べられていたか。
 奈良時代から伊勢神宮などに鏡餅が供えられていたという記録があります。  この地方で町民が餅を食べるようになったのは江戸時代にさかのぼり、武家の年中行事が商家へと伝わり、商家から農家へ。
 農家では神仏や農具にもちを供え、豊作と家内安全を祈りました。
もちと行事、農作業のかかわり。
 農家では行事や人寄せのたびに餅をつく習慣があり、農作業とも深い関連がありました。田植えが終わったさなぶりのもち、刈り上げを終えたときの刈上もち、秋の取り入れを終えた庭仕舞いでも餅を振る舞いました。農家の人達は餅をつくことによって作業のめどを立てたり、家族の融和を図ったり、村の協調を進めたりしました。
もちをついてはいけないとき。
 正月の餅は暮れの28日か30日につくものと言われ、29日は「苦」がつくからついてはいけないとされています。
 また、十二支のうち丑の日には餅をつかないと決めている所もあります。それはせっかくついた餅が牛に食われてしまうとともに、葬式の「はらいもち」になって不幸が起きると言われているからです。
もちとため池のいい関係
 水利に恵まれない花泉町では、ため池が重要な水源となっており、ため池の数が多いことも特徴です。このため池の水は田んぼの水と温度差がなく、微生物や有機物でこなれた水になって稲にとって最良の水になっています。つまり、花泉町の餅文化のベースには米の質の高いことが挙げられ、おいしいお米があるからもちを初めとした米の文化が高く評価されていると言えます。