遠 野 し し 踊 り

しし踊り 遠野物語の初版序文にも記されている「しし踊り」。

柳田國男は遠野を旅した際にお祭りに出くわし、そこでしし踊りを見たそうだ。

「しし踊り」とは、五穀豊穣を願う遠野の代表的な郷土芸能で、異形の面をかぶって踊り、そしてその踊りは激しい。遠野市市立博物館ではしし踊りのビデオを上映しており、しし踊りについての基礎知識を会得、興味を持つことができる。

「しし」とは架空の獣でそのししが群れをなし、人間の作った農作物を目当てに山から下りてくるため、人間とししとの激しい格闘が繰り広げられる。

しかし、ししは人間を決して殺さないそうだ。しし踊りには、自然、獣、そして人間との永遠の絆が表現されているのだ。

地元では、踊りの最中にちぎれた カンナガラ を拾うと、良いことがあるとも言われている。

カンナガラを振り乱しながら人間との戯れを勇壮に演じるしし踊り。その迫力は、見る者を圧倒させる。

遠野市内にあるしし踊り保存会は15団体。踊り、太鼓、笛、いずれも保存会ごとに少しずつ異なる。

 9月14(木)、15(日・祝)の 『遠野祭り 遠野郷八幡宮例祭』 では、遠野のしし踊りが一同に集まって踊ります。  

遠野市立博物館ではしし踊りのビデオを上映しています。

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カンナガラ

遠野しし踊りは、「どろの木」をカンナで削った「カンナガラ」と呼ばれるものを背中にたれ、ひげは馬のたてがみ、頭上には役などを表す「たてもの」と呼ばれるものを角で押さえ付けた面をかぶり、両腰には山鳥の尾羽根を付け、前幕っを両手でつまんで勇壮に踊るのが特徴。

神 楽

神楽の発生は、神への鎮魂儀礼(みたまふり)に発するといわれ、祭りに神楽を行うのは、この古代信仰が続いているからで、現在でも各部落の神社の祭りには奉納舞が行われています。

神の御霊を鎮めるために奉納する舞で、古事記や日本書紀に書かれた神話に由来するものが多く、天の岩戸開きなど、登場する神様や話の由来などがわかるとさらに興味を持って見ることが出来ます。

遠野の神楽にはいくつかの系統があり、面や衣装、舞の構成、拍子など、同じ演目でもずいぶん異なった舞になっています。

遠野には現在、13団体の神楽がありますが、「山伏神楽」「神人神楽」の二系統にわかれています。

いつの頃からこの区別ができたかはわかりませんが、二つの神楽は拍子、踊りの順序、採り物の名称が違っています。神人系は七拍子のゆるやかなテンポで、優美な踊りを見せ、山伏系は五拍子の早いテンポで、荒々しくかつ活発な踊りを見せてくれます。

遠野八幡宮の神楽は山伏神楽に属し、山里にありながら、豊漁を祈願する恵比寿舞いもやるのが特徴。

対照的に早池峰神社の「大出早池峰神楽」は優美でゆったりとながれるような舞が特徴。

遠野では各神社のお祭で神楽が奉納されます。


大出早池峰神楽

山 口 の さ ん さ 踊 り

盛岡のさんさ踊りに代表されるように、元来祝いの踊りである「さんさ踊り」は、岩手県内に伝わる農民の踊り。

おはやしは笛・太鼓・唄で構成され、テンポは軽快で明るく力強い雰囲気を持つ。

誰にでもすぐに参加できるため、主に盆踊りとして親しまれてきた。

山口のさんさは明治中頃に下閉伊地区から入ってきたと言われている。 

南 部 ば や し
南部ばやし 遠野の郷土芸能の中でも、優雅で艶やかなのが「南部ばやし」。
京都の祇園ばやしを参考に遠野の特色を入れて生み出された独特の町方踊りで、城下町だった遠野の別の顔が伺える。
別名‘遠野ばやし”といい、美しく着飾った女の子の姿がかわいらしい。
おはやしは笛・太鼓・つづみ・三味線で奏でられ、激しい「しし踊り」とは対照的である。

遠野郷の南部ばやしは、別名「遠野ばやし」ともいわれ、町方の踊りの代表です。

これは、祭礼にお供する山車に従うはやしで、寛永四年八戸から遠野に移封した、遠野南部第二十二代直栄が、寛文初年(一六六〇年頃)、今の遠野八幡宮を松崎村の宮代から踊鹿(おどろが)に遷宮し、盛大に祭典を行い、その秋の八幡宮例祭に奉納するため、遊芸師に命じて京都の“祇園ばやし”を模して、遠野郷の特色をとり入れて生み出した遠野独得の町踊りです。

● 踊りの仕組み

一 金棒引き

二 舞い子(女の子)-元禄時代を模した派手な服装の揃いの着衣に、冠をかぶり、飾りのある小枝を持って踊る。

となっており、三〇人もの人数で踊る様は、なかなか優雅なものです。

はやし方は、三味線、笛、太鼓、大鼓、小鼓ですが、鼓を打つのは男子で、直垂(ひたたれ)の揃いの衣装をつけ、烏帽子に白足袋をはいた出で立ちで太鼓や小鼓を打ちます。また、笛や太鼓も男性で、三味線は女性が屋台の上に座して奏でます。

人数は大鼓が六人位、小鼓が十八人から二十人、笛は五人位、太鼓は五人位、三味線が四、五人という人数で、笛の音や鼓の響き、三味線の音、威勢のよい太鼓の響きが交錯し、それに舞い子のかけ声が和して、あでやかでかつ優雅な、そしていかにも遠野郷らしい、ゆったりとした歌舞音曲が町中に響き渡るのです。

ま ぬ け 節 踊 り

遠野郷に残っている“間抜け節”は、いつの頃、どこでどう唄っていたものか、ほとんど知られていない古謡です。たぶん町方のお座敷唄の一つと思われますが、定説はありません。  

唄そのものについても、ほとんど忘れ去られようとしていたのですが、昭和八年遠野町有志により復活発表会が催され、絶滅の危機をあやうく免れました。その後戦争などのため、再び忘れかけられていたところ、最近、有職者の努力によって再復活したもので、その時に踊りの振り付けも行われて“まぬけ節踊り”として保存することになり、現在遠野婦人会有志によって踊られています。

この節は、すこぶる美しい音律をもった古謡で、遠野郷らしいのどかな、土の香の高い民謡です。この踊りは、昔から定まった踊り方はなく、即興的な踊りで楽しんだものと伝えられていますが、現代は集団で踊る、町方踊りの一つになっています。

歌詞もなかなかユニークなものです。

 まぬけ踊べと橋から落ちた 橋の下にもまぬけ節

 たとえ山中ぶどうでさえも あてのない木にからまらぬ

 わたしゃ奥山むきだけ育ち 色が増せども軸がない

太 神 楽

幕末のころ伊勢から伝えられたといわれています。オカメ倉松という太神楽の名手が伝承に力を尽し、今の大工町に伝わっている町方踊りの一つです。

 

田 植 え 踊 り

いつごろ遠野に入ってきたかは明かではありませんが古くから農民の農作物の豊作予祝として踊られていたようです。歌曲、舞い方ともに優雅にして静的で、笛、太鼓は明るい雰囲気です。